背中かゆい。
そうそう、塩川が塩川を発揮するために好きな人が増えたらいいねぇ。
twitterでわざわざDM送った人とか、メールや直接このブログ教えた人たちはなんとなく気に入っててねぇ。
君たちに好かれたいのだよ。
塩川はなんとなく小説家のまねごとをしてみたことがあってねぇ、それはまぁ楽しかったり苦痛だったりしたんだけど、小学生のときにたまたま身近だったのが文章で、それを大人になるまで延ばしてきて、まぁ文章に関しては有センスとか自分にしかないものがあると思っててねぇ。
塩川は23、24歳くらいのときに大まかに自分という人間の読解が終わってねぇ。割と全てのことがどうでもよいと思ってる人間だとわかったんだが、そうは言っても自分でわざわざ世界が灰色であることを毎日見抜いていくのも生きるに面倒なので、たまたま色彩がありそうな場所・分野・瞬間を期待してみてでっちあげたり本当に色を感じられたりで25歳なうなんだけど、夢も希望も必要なく、ただ毎日納得することだけ必要と感じて生きている。
その余剰に「表現」で塩川を発揮するということがあるみたいなんだけど、文章っていう方法が自分にはラクチンでね。文章であることの必要性に迫られていないんだけど、自分がたまたまやり続けてくれていてね。
私はそれをもうちょっとちゃんと使ってみたいと思っている。
もっと言うとつまり「小説」にしてみたいということ。
さて、塩川の才能は「私が気に入ったあなたという個人に気に入られることに努める」という一点に尽きる。
となると何に関しても大勢を対象にするのは無理だ。どうしていいかわからん。
だから特定少数の対象のために小説を書くことなら出来る気がする。対象がいなければ、小説なんてしちめんどくさいことをしないだろう。
で、だ。
このブログを読んでいる、僕の気に入っている人達へ。
僕は知識がない。というより知識への困窮心がない。だから自分の厚みの無さを恥じている。その恥をわかっていて、それを改善する気もなく、もしかしたら小説を書いてしまうかもしれない。書かないかもしれない。
それでも、楽しみ、と言ってもらえるんだろうか。
私はそのくらいお粗末な人間で、楽しみ、と言ってくれる「私が気に入っている誰か」が一人でもいなければ何もする気が起きない。
楽しみと言ってくれるなら、読ませてあげたい。そしてあなたを強烈に想像して私は小説を書く。
はじめて書いた物語は小学校の親友ひろちゃんのため。
次は中学校の親友こーやん。その次が塾の親友せきくん。
その次が高校の友人その他。好きだったすずきさん。
大学の周囲の友人。恋人。東京に来てからの親友。
Webで見つけた知らない人。偶然知り合った数奇な友人たち。
その次にたぶん何かを書くとしたら、たぶんあなたたちを対象にしてしまう、かも。
それを、楽しみ、と感じてくれるんだろうか。
非常に無責任だが、楽しみ、の一言で、私には勝手に火が付く。
そしてその小説を、私も読みたい。